大正13年1月 | 初代 森新之助が成田町に「森豆腐店」を創業 |
---|---|
昭和20年 | 長男 森芳典が家業に従事 |
昭和31年 | 次男 森徳三が家業に従事 |
昭和36年6月 | 二代目 森徳三が志波町に分店の「森徳とうふ店」を創業 |
昭和48年 | 大河原地区で盛んに生産されていた「ざる豆腐」を仙台で普及活動開始 |
昭和58年 | 日本で最初の有色豆腐といわれる「青ばた大豆もめん」を製造開始 |
平成元年 | 三代目 森新一が家業に従事 河北新報の夕刊で「青ばた豆腐」が紹介される 全国誌で最初の青豆豆腐の記事となった 道路拡張で現在地の太白区中田町に移転 |
平成2年 | 全国誌「婦人画報」で「青ばた豆腐」が東北の夏の味として紹介されたのをきっかけに 一気に全国豆腐店に普及して行く *この記事を皮切りに各全国誌に「青ばた豆腐の店」として多く紹介されることとなった |
平成3年 | クール宅急便の普及で、当時ダイエーの豆腐アドバイザーとして全国のダイエーのバイヤーから各社の豆腐が森徳とうふ店に送られることになり、各社豆腐の評価を行なっていた |
平成4年 | (株)太子食品工業の各工場長が視察にくる 惣菜業を取得「土佐揚げ」を高橋食品工業と開発、ヒット商品となり現在も売れ続けている |
平成13年 | 岩手県岩泉町の「龍泉洞の水」を製造している社団岩泉産業開発公社へ豆腐の技術指導を開始する |
平成16年 | 知的障害者通所施設「社会福祉法人はらから福祉会」に豆腐の技術指導を開始する |
平成18年 | 三代目 森新一が「社会福祉法人はらから福祉会」の法人本部授産部長として正職員となる (平成21年に退職) |
平成19年 | 全国障害者施設へ豆乳から製造できる「手づくり豆腐工房事業」を考案 障害者福祉施設に在職中、全国45ヶ所の障害者施設へ普及させ、障害者の工賃倍増計画に貢献 |
平成21年7月 | 森徳とうふ店において障害者雇用を開始し移動販売事業を興す |
平成21年8月 | 20年の老朽化で店舗改装 新しく設備導入し改装オープンさせる |
平成21年9月 | 全国障害者施設へ豆乳の供給がスタート |